World Trip

Ayutthaya, Thailand

Ayutthaya, Thailand
15.07.2013

やすらぎのタオ島から喧騒のバンコクに戻り、僕らが目指したのはアユタヤ。
せっかくなので、日帰りで世界遺産のアユタヤ遺跡を見に行く。

~↓読み飛ばし可↓~
アユタヤ王朝(1351年 – 1767年)とは、タイの中部アユタヤを中心に展開したタイ族による王朝。
創設者はラーマーティボーディー1世(ウートーン王)。
中国、インド、ヨーロッパ方面を結ぶ中間に位置するアユタヤは、地の利を生かした貿易国だったそうな。
王家を中心に独占的な貿易が行われ、主に中国への米の輸出で国力を付けたそうな。
日本、琉球などの東アジア、東南アジア、アラブ・ペルシア方面や西洋とも活発に貿易を行い、莫大な富を蓄えたそうな。この富を背景にアユタヤでは当時繁栄していたクメール(今でいうカンボジア)文化を吸収しつつ、中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの文化の影響を受けた独自の華やかな文化が開花したそうな。

かつてこの国で国王に求められたのは、人民と親しく、適切に保護する性格であることだったが、アユタヤ王朝に置いては「仏教の保護者としての王」の思想を引き継ぎ、ラーマーティボーディーは仏教を持って国を治める政治を実践したそうな。
その一方で、ヒンドゥー教的な「王は神の権化である」という思想がクメール王朝の影響を受けて生まれたそうな。この思想はタイ文化をヒンドゥー色に変え、言語にはサンスクリット語からの借用語が増え、文学、演劇などでもヒンドゥー的色の強いものが発生し、宮廷内の作法やしきたりにもこの傾向が顕著に見られ、国王に対する敬語としての王語(ラーチャサップ)を作り出し、難解な作法を生んだそうな。
「王は神である」ため一般人から隔離され、王に触れたり顔を見たりする一般人を死刑に処するなど法律にまで影響を与えたそうな。また、仏教を保護する王としての性格は「王は転輪聖王である」という形で受け継がれたそうな。
~↑読み飛ばし可↑~

話すと長くなる(すでに長い)上にこんな情報はただのWikiからの抜粋であって、これらを僕が明確に記憶しているわけでは全くない。
語尾に「…そうな」ってつけると、難しい文章も少しわかりやすくなるなあ、ということが言いたくて、こんなに行数を喰ってしまっただけである。あしからず。

ともあれ。
遺跡を見るときに重要なことのひとつに、「遺跡とかつての文化について調べること」があると思う。
それがあるかないかで、遺跡の感じ方が随分と変わるからだ。

でも、それよりもっと重要なことがある。
それは何か。

『天気』である。
旅をしている皆さんは確実に同意してくれると思う。

アユタヤでは本当に天候に恵まれた。
素晴らしく晴れ、心地よい風が吹き、とてもリラックスした時間を過ごした。観光客も少なく、静かで穏やか。この穏やかさはインドで合流した友人たちのおかげでもある。やっぱりどうしてもひとり旅では、どっぷりリラックスすることはできないから(それがひとり旅の良さでもあるけどね)。ガイドブック片手に、「遺跡を全部まわるぞ!」みたいな気負いもなく、ただブラブラと歩き、気になれば入り、気が向けばシャッターを切る。ちょっとしたことで笑いながら、木漏れ日の下で一服しながら。悪いニュースなんてどこにもないみたいに。平和な散歩だった。

アユタヤ遺跡の感想は、一言で言うならこれ。
「きもちよかった!」

多分、もう一度ひとりであそこに行っても、こんな風には感じられないだろうな。