World Trip

Bagan, Myanmar

Yangon & Bagan, Myanmar
16~22.08.2013

2011年、ついに民主化した国、ミャンマー。
変わってしまう前に見ておきたい、ということで行ってきました。
何より驚いたのは、人のあたたかさとやさしさ。
ミャンマーは人がいいとは聞いていたけど、思ってた以上でした。
あと、宿代の高さにも驚いた笑。気になる食事については、基本的に油が多くて僕には合わなかったけど、おいしいところを現地人に聞いて探すのも楽しかった。遺跡の街バガンの、見渡す限りの仏塔群には興奮したな~。たったの1週間の滞在だったけど、得るものは多かったです。
今回は日記形式にしてみます。

8月16日

バンコクはカオサン通り近くのCH2からドンムアン国際空港へ。
荷物の重量が気になる近頃、重いもの(PC、カメラ、本、充電器など)はとにかく手荷物に入れて、預け荷物のバックパック(ギターも入れてる110リットルのやつ)には、なるべく軽いものを入れる。
ミッション・コンプリート。
19.2kgで、リミットの20kgをクリア。ミャンマー・ビザも無事取得した。
全てはスムーズに進み、ミャンマーはヤンゴンの空港に到着。思ったよりでかくて綺麗!街はすでにツーリスティックになってしまっているのだろうか…。ちなみに今回のミャンマーは、日本の友人と行動を共にする。彼女の名はミチカ。すでに東周りで世界を半周し、一時帰国後、現在は西周りで世界を放浪中の旅人。僕の今回の旅の出発前、色んな情報をくれた恩人でもある。そんな彼女と空港からタクシーをシェアして、まずは情報収集目的で有名な日本人宿「東京ゲストハウス」へ向かう。宿代はひとり12ドルと、かーなーり高いが、Wi-Fiがあり、朝食には豪華な日本食が出る上、お代わり自由だという。満室が多いみたいだったが、運よく部屋は空いていた。さて、現地通貨の「チャット」を手に入れなきゃならない。
実は事前にバンコクで、情報通からみっつの情報を入手していた。
ひとつ、現地にATMはない。
ふたつ、両替はピン札じゃなきゃできない。
みっつ、宿やタクシーではUSドルが使える。
この情報を元に、現地で両替するため、タイバーツをUSドルに200ドル分、ピン札で(結構苦労した)両替済みだった。ヤンゴンの街を歩き回り、レートのいい両替屋を探すも、悔しいことに空港内にあった両替屋(1USドル=984チャット)を超えるレートの店がない。普通、空港のレートは街より悪いはずなのにな。染み付いた常識に裏切られた。諦めて近場で1番のところ(1USドル=968チャット)で100ドル分両替。今度ミャンマーに来る皆さんには、空港での両替をオススメします。しかも、ATMがそこらじゅうにあるじゃん!どうなってんの!(念のため使ってみると手数料が5000チャットかかるのでやめたけど)ミャンマーは、情報通の情報も追いつかないくらい変化してるらしい。というわけで、この日は例によって屋台で1ドルで腹一杯になり、ラオスに続き1箱40円の煙草を吸いながら、宿で仲良くなった雑誌編集者の旅人と23歳元自衛官の起業家とミチカと僕の4人で、やたらと多岐に渡る話に花が咲き、宴は深夜まで続いたのだった。

8月17日

ここのところ寝不足が続いていたところに昨夜の宴で、ゆっくり眠りたかった。しかしそうはいかない。何故なら日本食の朝食を食べなければならないからだ。そもそもそれが目的でこの宿に泊まったのだから。まあ、噂ほど豪華ではなかったけど、朝から腹一杯になり、僕はロンジーを買いに、街のスーパーへ出かけた。ロンジーというのは、ミャンマーで男女問わず着られている巻きスカートのことだ。空港を出てからというもの、男のスカート姿だらけで、僕もはきたいと思っていたのである。2900チャットで気に入る柄のロンジーを見つけ、購入。ミャンマーの旅の間はずっとこのロンジーを着ていたのだった。というか、とても楽なので、日本でも多分着ると思うけど、日本だと変な眼で見られるんだろうな。それもまたよし。
というわけで今日は、ミャンマーの高い宿代をスルーすべく、夜行バスで遺跡の街バガンを目指す。17時から4時まで11時間走って14000チャット。一晩宿に泊まって12000チャット。なんかバランスが悪いけど、そこに付け込まねば損なのである。雨季のミャンマー、疲れもあってバスの時間まではその辺でメシを食べる程度で、あとはチェックアウトした宿でゆっくり休ませてもらった。その間にバガンの宿を電話予約。日本語を話すオーナーがいるピンサ・ルパという宿。1泊10ドル。たけえ~。でもこれは相場より安いらしい。豪雨の中タクシー(3000チャット)でバスターミナルへ向かい、いざバガンへ、てなところで本日はおしまい。

8月18日

バスは、非常に寒かった。あまりにも、寒かった。寒いとは聞いてたけど、あそこまでとは思わず、完全に油断していた。そのせいで、ちょっと風邪かも、という症状。朝焼けの中、馬車で宿へ移動し、少し眠ることに。運よく?1日中雨。目が覚めてから近くの市場をうろつき、絵はがきと、トルコぶりの新しい歯ブラシを買って宿に戻り、近くの青い屋根の食堂でライス・サラダなるものを食べ、ビタミン飲んで早々に就寝。

8月19日

昨日ゆっくり休めたおかげで風邪は治った!今日は動き回るぞ、ということで、自転車を借りる。1日で1500チャット。雨も降ってない。ラッキーだ。いざ、オールド・バガンへ。人によってはアンコール遺跡よりいいだの、世界一の遺跡群だの言うので、期待しつつも期待しすぎず行ったわけだが、いやはや、よかったです。
何がいいって、音だね、個人的には。仏塔のてっぺんに小さな鐘?鈴?がついてて、風が吹くと空からチリンチリン音が降ってくる感じで。これはタイの仏塔もそうだったんだけど、何かが違った。なんだろ。さらには木々のさざめき、鳥の鳴き声。そんなのもあいまって、とても素敵なんです。観光客があんまりいないってのも、やっぱりよかった。「なんにもないふりでぼくらは」の動画を撮ったところなんて、晴れ間を待ったりして1時間くらいはいたけど、観光客は欧米人3人しか来なかったもの。まあ、あんまり有名な仏塔じゃなかったのかもしれないけど、僕はあそこが1番好きだったな。あと、見逃せないのは、高い仏塔に登って見渡す仏塔群。本当に見渡す限り仏塔だらけ。
壮観、興奮でした。
てなわけで、1日中自転車こいで、オールド・バガン満喫して、宿戻って、昨日と同じメシ食って、ほんの少しだけミャンマー・ビールの生(ジョッキで650チャット。やすっ。)を飲んで、ぐっすり眠ったのでした。

8月20日

バガンは十分満喫した、遺跡はお腹いっぱい、ということで、今日の夜行バスでヤンゴンに戻ることに。朝食を食べに階段を降りると、日本人の旅人におもむろに誘われる。「ポッパサン行きませんか?」なにそれ?ということで話を聞くと、途中で村を経由してポッパ山という山のてっぺんに仏塔があるところに行くと言う。ヤンゴン行きは夕方発だし、それまでにやることも特に決めてなかったので、乗っからせていただくことに。
途中立ち寄った村では、明日がお祭りらしく、準備中の活気がすごくて、みんな楽しそうで、たくさん写真を撮った。あそこに行けてよかった。なんていう村かも知らないけど笑。ポッパ山は霧が立ち込めていて、雰囲気あった。猿がたくさんいた。
そうそう、旅の知恵をひとつ。
「旅人は、痩せている方がいい。」
これは僕の経験則なんだけど、現地の人がご飯を食べてるところを、ウマソーって顔で見てると、大概お前も食え、ってなります。思えば随分いろんなところでタダ飯を食わせていただいた。本当に感謝してます。僕も惜しまず与えられる人間になろうと思う。ちなみにこの知恵というか意見は、僕と同じく痩せているミチカも同意見で、同じ経験を何度もしてた。このポッパ山でも、おいしいご飯をご馳走になってしまいました笑。ご参考までに。
というわけで、宿に戻り、絵はがきを出し、バスの時間まで宿でダラダラ。しかし、寒いバス対策は万全。ベネズエラからコロンビアまでの寒いバス対策を総動員して、向かうぞヤンゴン。

8月21日

バスはまったく寒くなかった。むしろ暑かった。やってくれるぜミャンマー。
到着したヤンゴン。宿は再び東京ゲストハウス。高いけど居心地よかったし、日本食の朝食も食べたいしね。到着してひと眠りしたら、ラオスのバンビエンで一緒にブルー・ラグーンに行ったメグミちゃんがいた。さらに、ヤンゴンで仕事をしていてトライアスロンもやってるクボさんもいっしょに、今日はヤンゴン観光!
ローカル・バスに乗ってシュエダゴォンパヤーに行く。ミャンマー仏教の聖地。それにしてもミャンマーの言葉は難しい。どれも覚えるのに本当に苦労する。ありがとうが、「チェーズーティンバーレ」。これ覚えられたの、結局この日だもんな~。ともあれ、シュエダゴォンパヤー、よかったですよ。なにがいいって、デカイね。ミャンマー人の観光客が多いのもいいね。あと、ミャンマーでは1981年9月24日木曜日産まれの僕は、守護神がネズミらしく、ネズミの神様に水かけてお祈りしたりしました。タイでは瞑想中のブッダだったな。ミャンマー人の名前は、ほぼこの神様にまつわる名前らしく、名前を聞けば何曜日産まれかわかるらしいよ。あとはマーケットで土産物探し。僕は訪れた全ての場所で買うことを義務付けているマグネットを購入。そして、夕方からは急遽宿でライブ。みんな喜んでくれてよかった。涙流してくれた人もいたりして。こっちが泣きそうになるわ。
そのあとは、ライブにも来てくれてたクボさんの仕事仲間のミャンマー人の男性がおいしいミャンマー料理のレストランに連れて行ってくれて、それはもう、本当においしくて、腹一杯食べて、そしたら、おごってくれるとか言うわけですよ。「ミャンマーに来てくれただけで嬉しいから」と。
僕も日本に僕の外国の友人が来たら、全部おごるから。かっこよすぎたぜ。意外と女好きなのも最高だぜ。なのに名前を忘れちまったぜ…。
というわけで外国人のみんな、日本で待ってるよ。炒飯つくったるよ。
そして夜は、もはやこの宿恒例の深夜まで続くよもやま話。お互いただ通り過ぎて行くだけの旅人。あまり深いところの話は、よっぽど気が合わない限りしないんだけど、この夜はどこまでも話し続けましたとさ。

8月22日

今日はバンコクへ戻る日。朝食を忘れず食べて、あとは宿の周りをうろうろ。23歳元自衛隊員の起業家おすすめの安いメシ屋で昼飯食べて、タクシー捕まえて出発。1週間は短かった。でも、満喫できた。また来たいな。また行きたい場所ばかり増える。それが旅ってやつなんでしょうか。世界中いろいろまわってきたつもりだけど全然足りない。あと1ヶ月もしたら帰国だけど、多分また旅に出るんだろうな、と確信めいて思ったりする。

次回は、タイはチェンマイ。10日間瞑想について。