World Trip

Chiang Mai, Thailand

Chiang Mai, Thailand
23.08.~02.09.2013

行ってきました、ヴィパッサナー瞑想。
タイはチェンマイ、ドイステープ寺院の瞑想センターにて。

そもそもヴィパッサナー瞑想ってなんなのか、というと、世に言う仏陀ことゴータマシッダールタが悟りを開く前の10日間の瞑想っていうのがあって、それを現代風に解釈して行われるもの、らしい。上座部仏教の瞑想法なんだって。興味ある方、詳しくはwikiってみてね。

なんで突然そんなことやりたくなったかと言うと、まあ話すと長いんだけど…。
最初はシェムリアップで旅人からその瞑想の話を聞いた。それで興味を持って調べ始めたら、不思議なもので、瞑想の経験者にやたら会うようになった。そして、興味深い話をたくさん聞いたんです。瞑想にもいろんな種類があって、サマナ瞑想とヴィパッサナー瞑想の違いだとかなんやらかんやら。日本の京都と千葉に瞑想センターがあるから、帰国してから行こうかなと思ってたんだけど、旅が終わってからじゃなく、もうすぐ旅が終わる今こそやるべきなんじゃないかと思い始めたら止まらなくなりまして。じゃあ今やろう、と、こうなったわけです。

さて、それじゃあここからは経験談。
ヴィパッサナー瞑想10日間、
基本的な毎日のスケジュール公開。

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05:00 起床
05:30 Dhamma Talk
07:00 朝食
11:00 昼食
13:00 Report
18:00 Evening Chanting
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Dhamma Talkっていうのは、マスターのありがたいお話を聞く時間。ジョークも挟みつつ、英語で説法してくれる。英語が堪能でない僕にも伝わるように話してくれてるのがわかる。ありがたい。ただし、いつも1時間越え。

Reportというのは個別にマスターに会って行われるんだけど、簡単に言えば、「調子どうよ?」って聞かれる時間。瞑想の調子によって、新しいテクニックを教えてくれたりする。うまくいかないときは助言してくれたりする。

Evening Chantingは読経の時間。幼少時代通ったお寺の保育園のおかげで般若心経は今でも空であげられる僕だけど、タイ語で読経するのは大変だった。でも10日間やったら流石にそれなりにはスムーズにいけるようになったよ。抑揚が面白いのね、タイ語。そして読経のあとは、再びマスターのありがたいお話。合わせて1時間てとこかな。

禁止事項もたくさんある。人と話すこと、目を合わせること、文字を書くこと、読むこと、電話すること、電子機器を使うこと、女性ならメイクすること、など。まあ、とはいっても、目くらい合うけどね…。ちなみに、マスターとは話せる。

朝食、昼食は、完全ベジタリアン。これが功を奏した部分も大きい気がする。旅の間、仲良くなった外国人にベジタリアンが多かったこともあって、かなり興味ある。でも、焼き鳥は食べたい。自分に捕まえられそうな動物だけ食べるっていうの、何かの本で読んだけどいいかもね。年齢を追うごとに菜食になっていくっていう。でもまあ、夕食も食べたかったね、ほんとに。グーグー鳴ったね。

さて、肝心の瞑想はいつやるのかだけど、これは個人に任せられてるみたい。ずっと寝てたい人は、ある意味寝てられるし、ダラダラもしてられるわけだけど、僕はもちろんそんなことしないぜ。
09:00~11:00、12:00~13:00、14:00~17:30の間、与えられた個室で合間にストレッチしながらみっちりやってました。
ヴィパッサナー瞑想には4種類ある。
歩く瞑想、立つ瞑想、座る瞑想、寝る瞑想。
立つ瞑想は、歩く瞑想の合間にやり、寝る瞑想は寝る前にやるので、基本的には歩く瞑想と座る瞑想をやる感じ。
共に15分ずつで1セットなんだけど、8日目にはそれぞれ30分ずつに増えた。これはReportの時間にマスターに指示される。30分って結構長い。でも、これが楽しいんです。始めたばかりのころより、どんどんうまくいくようになっていくのがね。10日間はあっという間だった。

29日は、仏陀の日で、いつものEvening Chantingじゃなく、瞑想センターの上にあるドイステープ寺院の中で行われた。なかなか経験できることじゃないと思うし、興味深いことも多かった。笑ったのは、一休さんの世界にいるような、イタズラ坊主がいたこと。寺の1番偉いお坊さんが神妙にお経読んでて、少しの沈黙のスキにプウッとやらかす。隣の坊主とつつき合ってクスクス笑ってる、みたいな。瞑想中の先輩にちょっかい出して怒られてる、みたいな。僕のちょうど真ん前にいたから、屁は臭かったけど、なんだか微笑ましくもあった。こっちは真面目に瞑想しに来てるのにさ笑。

そんなこともありつつ、有意義な時間を過ごせたように思います。
副産物もあった。僕の悩みのひとつに猫背ってのがあるんだけど、これもかなり改善された。毎日ひと瞑想ごとにストレッチしたおかげで、かたい身体も少しやらかくなった気がする。
いい感じに習慣にできたので、今後も出来るだけ毎日、朝と夕方だけでも瞑想とストレッチはしたいなと思ってます。今回得たものを簡単に逃しちゃうのはもったいないからね。自力でもっと深いところまでいけるなら、そんな楽しいことないし。
マスターがこんなことを言ってた。
「身体の汚れをシャワーでおとすように、心の汚れは瞑想でおとせる。」

結果的にこの10日間で僕にどんな変化の実感があるのか。
実は、悟りを開きました。
嘘です。悟りにはあまりに程遠すぎる。へそで茶を沸かすぜ。でもなんだろう、なにかが変わった気がする。リラックスして、感情はあるがままに、ただ現在を、心を、身体を、見つめ続ける、という瞑想。
経験者が、どうでもいいことで悩まなくなったって言ってたけど、それはわからなくもない。なにしろひたすらの心との対話だから、どうしたってこれまで悩んできた、今も悩んでいることが顔を出す。そいつが邪魔をする。何度も何度も。つまり、そいつの姿を確認できる。なんだかよくわからなかったものが、少しでもわかるようになる。だから、そいつのことでダラダラ悩むことはなくなる。向き合うタイミングが、今はわかっているから。
もちろん、悩まなくなるなんてことはない。そんな人間いない。どうでもいいことでも悩む。あーだこーだ思う。でも、その悩みとの付き合い方が前よりわかるようになった。そんな感じだと思う。もうひとつ言うなら、「諸行無常」を身体で覚えるような、そんな感じ。身体に何か変化があったとする。例えば、なにがあったわけでもないけど、身体のどこかがかゆい、とか。でもかかない。そこを心の目で見つめる。そうすると、かゆみはだんだん去っていく。空腹すら。諸行無常、なにもかも変わっていく。当たり前のことだと思ってた。でも、身体で実感するとまた違った感じがあった。
でも、人それぞれだろうね、こういうのは。感じ方も、考え方も、それぞれ違うわけだし。瞑想なんて、アヤシイ!ってハナから嫌うような人も、もしかしたら、まあもしかしたらだけど、僕の友人の中にもいるのかもしれんが、何事も経験。やらなきゃわかんないってことです。
興味が湧いたら、時間をつくって試してみてね。僕はおすすめできます。

そうそう、前の近況にも書いた寄付についてだけど、このお寺はちゃんとした寄付制でした。瞑想センターは寄付でなりたってます。残り少ない資金の中からできる限り、でしかないけど、僕も寄付しました。

P.S.
写真は最終日にチェック・アウトしてから撮ったのと、ブッダ・デイにアメリカ人の女の子がこっそり撮ってたやつをもらったやつからアップしてます。