World Trip

Medellin, Colombia

Venezuela to Colombia by Bus
28.02.2013~04.03.2013

今回は、ベネズエラからコロンビアへの陸路移動について。
色んな事件が起きました。
長文だけど、是非とも読んでみてくださいまし。
少しくらいの教訓は、あるかもしれませんぜ。

まずは、最近のベネズエラの治安について、wikiより。
(ちなみに、今回は写真なしです。
移動中は防犯のためカメラは隠したままのため。)

【ベネズエラの治安】
近年治安は急速に悪化しつつある。1999年以降殺人事件発生率は増加の一途を辿っており、2003年をピークに一端減ったものの、2005年8月以降は再び増加に転じ、現在ではコロンビア、エルサルバドルに次いでラテンアメリカでの殺人発生率は第3位である。営利誘拐の増加も社会問題となっている。カラカス市内では特急誘拐が多い。現職警察官や国家警備隊員は腐敗しており、さらに彼らによる犯罪も見受けられ、モラルの低下が問題となっている凶悪事件の20%以上は首都カラカスで発生している。地方はまだ安全であるが、特にコロンビアとの国境付近はコロンビア革命軍や極右民兵の活動地域であるため危険である。2002年11月にはコロンビア国境に近いタチラ州サン・クリストバルで日系移民の夫妻が誘拐、殺害される事件もおきている。

色んな旅人から色んな怖いうわさを聞く。
上にも出てきたが、警察が完全に腐ってて、検問でお金が見つかると
「それは偽札だ」とか言って金を奪われる、とか。
首都カラカスのバス・ターミナルは無法地帯。
ほとんど北斗の拳みたいな状態で、地元の人は絶対近寄らない、とか。
移動中、何をされるかわからないから絶対に眠ってはいけない、とか。
長距離バス車内の異常なまでの寒さは南米一、とか。

それでも陸路移動を決行した、バカな31歳の日記です。

【南米ベネズエラ~コロンビア 陸路移動記】

2月28日

熱は下がらず。というかむしろ上がっている雰囲気。
昨夜ランドリーに出した洗濯物を受け取り、朝食。
宿はチェックアウトしなければならなかったので、
BackPackerToursの事務所のソファで休む。
かなりの時間眠ることができた。ありがたし。
しかし、やはりこれくらいの休息では治らなかったようだ。
フラフラしながらも、7:00PMの深夜バスに乗るべく、
サンタ・エレナ・デ・ウアイレンのバス・ターミナルへ。
風邪なんか移動中に治せばいいのよ。
到着したバスターミナルは非常に暗かった。
周りは治安も悪そうで、警察の目も、どことなく危ない。
そして、今までに経験したことのない厳重な荷物チェック。
たかが長距離バスに乗るってだけで、ここまでやるかい。
なんらかの薬がキマっているように見えたのだろうか。
誤解ですただの風邪です。クラクラしながらも、しっかりと応じた。
いざ、中継点のシウダー・ボリーバルへ向かおう。
噂通り、バスの中はクーラーで極寒。
すでにヒートテックを着こみ、長袖を2枚着た上に登山用フリース、ダウン・ジャケット、ウインド・ブレーカー。&ネック・ウォーマーwithマスクandニット帽。下もヒートテックに長靴下2枚の重ね履き。
さらに、フリース生地の寝袋にくるまる。
ここまでやって、やっと快適な体感温度。
ここまでやらなきゃ、寒いってことです。
何考えてるんだベネズエラ。アホなのか。
ちなみにこの危険な移動はひとりではなく、
消化器内科のエンちゃんも一緒。ひとりの移動に比べたら本当に安心。
何が安心って、トイレに行く時荷物を見ててもらえる。これは大きい。
途中、パスポート確認で1度だけ目を覚ました。
僕が寝ている間に軽い検問が5回あったようだが気付かず。
とても安らかに眠ることができた。

3月1日

朝5時、シウダー・ボリーバル着。
よく眠れたものの、風邪はまだ去らず。
チケット売り場が開く朝7時を待つ。
このまま朝のバスで、コロンビア国境ほど近くの
サン・クリストバルまで行く算段だったが、そううまくはいかず。
19時半発の1便しか存在せず。
気持ちを切り替えてシウダー・ボリーバル観光。
大きな荷物はバス・ターミナルに預ける。
この時点で、ギター・ケースが破れていることに気づく。
カナダから5カ月。そりゃそうだよなあ。
このケースの中にはギターだけじゃなくてカメラもPCも入れてるし、
そろそろ悲鳴が上がってもよさそうな頃合いだった。
この街で直してもらうことにしよう。
簡単に朝食を食べ、まず向かったのはこの街のカテドラル。
広場はとても心地よい風が吹いていて、治安もよさそうなムード。
僕らは荷物を抱えながら少し横になるつもりが、
広場のベンチで12時まで眠ったのだった。
よく4時間も熟睡できたもんだ。
旅のおかげで(せいで?)神経が太くなってることを実感。
とにかく、とても気持ち良かったのだった。
その後は、ひさしぶりの中華を食べ、
街の繕い屋でギター・ケースも直してもらい、
街を流れる川を眺め、オレンジ・ジュースを飲み。
この街を満喫することができた。
19時半、サン・クリストバル行き、24時間バスの旅が始まる。
バス内部はやはり極寒。ベネズエラ。
よって、装備は昨日と同じ。とにかく朝まで眠る。

3月2日

日の出で目を覚ます。朝陽のあまりの赤さに、驚愕。
なんでこんなに赤いのかと思ったら、窓がそもそも赤かったっていう。
やってくれるぜベネズエラ。
この日は土曜日だったからかわからないが、
どの検問もほとんど素通り。怖い目にも特にあわず。
このまま順調にいくことを願うも、そうは問屋が卸さず。
昼、冷房が止まる。どうやら壊れたようが、
まあ、なんの説明にも来ない。
日本だったらあり得ないけど、南米は、いつもこうです。
極寒から、灼熱へ。窓もほとんど開かず。
着込んだ装備を全て脱ぎ、Tシャツ、ズボンのみに。
それでも暑い。暑すぎる。100かマイナス100、どっちかの国。
風邪を引いてるっつうのに、僕の身体も困惑したことだろう。
とにかく、どうにかこうにか20時、サンクリストバルに到着。
エンちゃんはこの街に一泊するとのことで、ここでお別れ。
小さくて暗い街。知らない街の夜は、とても心細い。
僕は今夜中にコロンビア入りしなきゃ。
まずはサンアントニオという街を目指すわけだが、
どうやらさっきのバス、適当な場所で僕らを下ろしたらしい。
やってくれるぜあのバカ運転手。
まずはローカル・バスでサンクリストバルのバス・ターミナルへ。
サンアントニオ行きの乗り合いバスを探していると、
気のよさそうな兄ちゃんが
「ククタ(コロンビア国境の街)まで行くぞ」
と僕を誘う。
乗り合いタクシーなのだろうか、僕以外にハタチくらいの男女がいる。
怪しんでいると、「俺はククタに住んでるんだ」と言う。
途中のイミグレにもちゃんと寄ってくれると。
正直まだ身体も弱ってるし、判断能力も低下状態。
気はよさそうだけど、もしかしてだまそうとしてるのかも。
夜で暗いもんだから、余計に不安を煽る。
しかし、僕は急いでいた。
できれば今夜ククタ発のバスで、コロンビアはメデジンまで行きたい。
賭けに乗ることにした。
そして、この賭けは見事当たり。
無事出国イミグレ、入国イミグレを越え、ククタのバスターミナルまで送ってくれた。
これで150ボリーバルなら、安かったんじゃないかな。
し、か、し。
やっぱりそううまくはいかない。
メデジン行きのバスは明日の夕方までないとのこと。

僕はひとまずターミナルのベンチで野宿することにしたのだった。

3月3日

朝4時半、目が覚める。
さて、このまま夕方のバスを待つなんてまっぴらだ。
どうしたもんか、策を練るべく、僕は、うろうろした。
どこにでも、どんな時間でも、話しかけてくる怪しいやつってのはいる。
僕がメデジンに行きたいと伝えると、
「ブカラマンガを経由して行けばいい。ブカラマンガ行きは朝5時20分に出るぞ。」
と言う。なるほど、いい案だ。5時20分発ってのは非常に都合がよい。
しかし持ち金がない。USDならあったので、
それをコロンビア・ペソに両替することに。
怪しいおっさんに詳しく聞くと、非常にレートが悪い。
銀行に行ってくると嘘をついて別の両替屋に行くと、レートが全然違う。
「あのおっさんは怪しい。」ひとまず良いレートで両替を済ます。
案の定、バスだと言っていたのにコレクティーボだし、
5時20分発と言っていたのに、出発したのは6時だった。
まあつまり、怪しいと思いながらも、乗ることにしたわけです。
やっぱりこの時間に出られるのはありがたかったから。
ブカラマンガには5時間で着いて、
ブカラマンガ発のメデジン行きは昼にあるとのこと。
「まあ、そううまくはいかんだろうな。」
すでに僕はそう思っていたわけだけど、予感は的中。
よっつの「事件」が起きることになる。

まず「ひとつめ」。
ブカラマンガへ向かう途中の検問にて。
コレクティーボ車内の積み荷によくないものが見つかり、
運転手が警察に引きずりおろされる。
…胡散臭いとは思っていたが、こいつ、運び屋だったのか。
しかしそこはさすがのコロンビア。
荷物の没収と罰金と一発殴られるくらいで済んだようだ。
運転手はがっつりテンション下がってたけど、どうにか12時半、ブカラマンガに到着。
急いでメデジン行きのバスを探す。

ここで「ふたつめ」。
メデジンへ向かう道が、デモで封鎖されていて、
昼に出るメデジン行きは、ナシ、と言うのだ。
またもや足止め。今回の移動、待ちが多い。
風邪もなかなか治らないし、Wi-Fiもどこにもない。
しかし、ここブカラマンガで、ついに「インターネット屋」を見つける。
Wi-Fiは、相変わらずないけど、これには助かった。
気を取り直して22時発のメデジン行きを取る。
こんなに急いでメデジンに行こうとしているのには理由がある。
ブラジルをうろうろしているときに、ライブの依頼を受けたのだ。
依頼してくれたのは、メデジンでコロンビア人に日本語を教えている
日本語教師のかおりさん。
facebookでメッセージが来たときは驚いた。
僕のことを知っている人が、コロンビアにもいる。
メキシコでも驚いたけど、本当に幸せなことだなあと思う。
そして、そのライブが、3日の予定だったのだ。
つまり、今日だ。どう考えても間に合わない。
しかし、Wi-Fiがなかったことで、現状報告を一度もできなかったのである。
「である」じゃないよ偉そうに。
とにかく、陸路でギリギリの移動は、やっぱり無理だ。
どれだけ頑張ってみたところで、想定外のことは、予想以上に起こるのだ。
簡単なお詫びのメッセージと共に状況報告。快くご理解いただけて一安心。
そして僕は長い待ち時間ののち、バスに乗り込む。
いまだ風邪が残る身体。深い眠りに入った。

3月4日

午前1時半。
「みっつめ」の事件が起きる。
これには本当に、驚いた。
なんと、僕が乗っているバスが、ゲリラに襲撃されたらしい。
しかし、バスはどうにか逃げてくれたようだった。
…。
「らしい」?、「ようだった」?。
そう。察しの良い方はもうお気づきだろう。
僕は、そんな車内で、「寝ていた」のだ。
さぞや騒然となっていたことだろう。
音楽を聞きながら寝ていたとはいえ、いくらなんでも僕は鈍くなりすぎた。
目が覚めたのは、バスの外装が壊れたとかで別のバスに乗り換えるタイミング。
何が起きたのかまったくわからず、英語がしゃべれる人を探して尋ね、
上のことを教えてもらったのだった。
乗客の顔は、結構青ざめていた。そりゃそうだ。
ゲリラに銃撃されたんだもんな。怖すぎる。
でも、僕はやっぱり思った。
「めちゃくちゃ見たかった」と。
ちなみに、バス乗り換えタイミングで見たバスの側面は、銃痕だらけだった。
よく生きてたな、と思った。

そして「よっつめ」。
まあこれは、事件と言うかなんというか、
わたくしごとではあるが、iPhoneをなくしたのだ。
いつも、バスで寝ているときは、貴重品は全て腹に隠す。
しかし、このときは意識が朦朧としていることも手伝って、
iPhoneをポケットに入れたままぐっすり寝てしまったのだ。
まだ夜も明けない時間に目が覚めると、iPhoneがない。
どこを探しても、ない。僕はゲリラにあうより焦った。
あれだけポケットは信用すまいと心に決めていたのに。
あれには各地で録った新曲の断片がこれでもかと詰まっている。
歌詞のネタも、なにもかもがだ。
最近バックアップもとっていない。
申し訳ないとは思いつつも、まわりの乗客にも協力してもらい探す。
見つからない。海外旅行保険でiPhoneだけ返って来ても、全く意味がない。
全ての可能性を探る。こういうときの僕はもう、必死だ。
しかし、見つからない。どこにも、ない。
そしてメデジン到着間近。
すでに夜は明け、乗客は全員目を覚ましている。
ほとんどの人は僕が起こした。ごめんなさい。
疲れ切った僕は、もうすべてを諦め、みんなに謝罪する。

「ペルドン。」と言う。
しかし、どうしても諦めきれなかったんだろう。
最後の気力で僕が座っていた座席のサイド、
見えなかった場所を、目視確認した。
ありえないような場所に、
僕のiPhone4S 64GBが、いた。
うまく説明できないけど、とにかく、ありえないような場所に、だ。
「あった!!!」思わず日本語で叫ぶ。
今思えば非常にバカだが、iPhoneを天高く突き上げた。
協力してくれた皆さんから、拍手が舞い起こる。
「ムチャス・グラシアス!ムイ・アマブレ!」
僕はひとりひとりに感謝を伝える。
なんてやさしい人たちだったのだろう。
「どいつが盗んだんだ」とか思ってごめんなさい。
「こいつワキガだな」とか思ってごめんなさい。

今回の教訓。

ひとつ。人にどう思われようが、諦めない。
ふたつ。絶対にポケットを信じてはいけない。
みっつ。バックアップはこまめにとれ。

このみっつを心に誓い、
僕はついに、0泊5日のバス旅を終え、
念願のメデジンに到着したのだった。