World Trip

Phnom Penh, Cambodia

Phnom Penh, Cambodia
25.07.2013

カンボジアの首都、プノンペン。
前回のシェムリアップの記事でも少し触れた「カンボジアの悪夢」。
この問題をもう少し踏みこんで知りたくてやってきた。
当時カンボジアでは全人口800万人のうち300万人が虐殺された。
自国民によって、人口の約4割が、殺されたのだ。
今回は国内に300あるキリング・フィールド(処刑場)のひとつ「チュンエク虐殺センター」と、「トゥール・スレーン収容所」を訪問した。
現地で聞いたオーディオ・ガイドと、インターネットから得た情報を自分なりにまとめて考察してみたので、少し長文だけど、是非読んでみてください。

当時、カンボジアはベトナム戦争の飛び火により、アメリカから激しく空爆を受け、国力が著しく低下していた。
これにより、それまでの政権が崩壊し、それに代わって政権を握ったのがポル・ポト( http://ja.wikipedia.org/wiki/ポル・ポト )率いるクメール・ルージュ。
1975年4月17日、クメール・ルージュ(赤いクメール)と呼ばれるポル・ポト派が、プノンペンに侵攻。
当時のプノンペンは、アメリカの爆撃を逃れ農村部から多くの人が押し寄せ、人口は100万人を超えていた。
都市居住者を農村での食糧生産に強制的に従事させるために、「米軍の空爆があるので2、3日だけ首都から退去するよう」と都市居住者を地方の集団農場へ強制移住させた。
生存者の証言によると、病人・高齢者・妊婦などの弱者に対しても「全く」配慮はなかったという。
抵抗すれば、殺された。
ポル・ポトが目指したのは「原始共産主義社会」。資本主義の要素を全て否定すること。通貨は廃止され私財は没収され宗教は禁止され、教育は公立学校で終了した。
国民は「旧人民」と「新人民」に区分され、長期間クメール・ルージュの構成員だった「旧人民」は共同体で配給を受け自ら食料を栽培できたが、プノンペン陥落後に都市から強制移住された新参者の「新人民」はたえず反革命の嫌疑がかけられ粛清の対象とされた。
ポル・ポトは恐れていた。
ポル・ポト自身が国家から奨学金を得て留学したにもかかわらず反体制的運動に参加した経験から、自らの政治体制の矛盾を見抜きうる「インテリ階級を極度に恐れていた」。プノンペンは飢餓と疾病、農村への強制移住によってゴースト・シティとなり、医者や教師を含む知識階級は見つかれば「再教育」という名目で呼び出され殺された。始めは医師や教師、技術者を優遇するという触れ込みで自己申告させ、どこかへ連れ去った。やがて連れ去られた者が全く帰ってこないことが知れるようになり教育を受けた者は事情を理解し無学文盲を装って難を逃れようとしたが、眼鏡をかけている者、文字を読もうとした者など、少しでも学識がありそうな者などは片っ端から収容所に送られ殺された。手が柔らかいという理由でも殺された。(労働者でないから、と)
ポル・ポト政権曰く。
「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」。

また、無垢で知識が浅い子供が、兵に重用され、「解放直後は14歳以下が国民の85%も占めていた」という。

当時、虐殺には棍棒や、鍬、鎌が使われた。
何故なら銃弾は高価だったからだ。
銃弾より安い命とは。

赤ん坊や幼児は、足を掴まれ、大きな木に頭を叩きつけられ殺された。
この木は「キリング・ツリー」と名付けられていた。
発見された当時は、木に頭蓋骨の破片が突き刺さり、脳みそが付着したりもしていたという。
では果たして、この罪に相応な罰とは。
それは僕にはわからない。人に裁けるような罪では、もはや、ないと思う。
なんて悲しいことが、実際に起きていたのだろうと、ただただ暗い気持ちになり、ため息をつくばかり。
それじゃあ、この出来事を知り、今僕が考えるべき事とは何か。

実は今回のプノンペン訪問を通して、感じたことがある。
大虐殺事件が起きた「かつてのカンボジア」と、「現在の日本」の共通性だ。
我々は、真綿で首を絞められるように、じっくり時間をかけて、この国に殺されようとしてるんじゃないだろうか。僕らの世代が親になり、祖父母になり、やがて死んでからの日本。そもそも、そこまで生きられるかどうかもわからないけど、未来の日本と子孫のこと。
僕らは今、キリング・ツリーに我々の子孫を叩きつけているのではないか?

外にいる僕から見る、日本の印象はこう。
「若い世代はどこか諦めてる。上の世代はどこか傍観している。」
そういう意味では似ているってことかもしれない。
情報弱者と呼ばれる親の世代、祖父母の世代に、我々若い世代が訴えていかなければいけないことは多い。テレビや新聞の情報が、如何に偏っているのかを伝え、共に考えていかねばならないはず。親世代は頑固にならず、若者の意見に耳を傾けるべきだし、若者は、年配者への敬意を忘れず、しかし伝えることを諦めないべきだ。
若い世代と上の世代のより強い相互コミュニケーションの必要性を感じる。自分の意見はもちろん大切だが、身近にいる大切な人の意見も、知るべきだし、その主張の理由から学ぶことも多いはず。大きな力を持たない我々一市民に、まずできることは、きっとそれだと考える。それができていたら、少なくとも自民党大勝!なんてことにならなかったように思う。
今僕にできるのは、考えること。
それをやめないこと。
P.S.
是非読んでほしいオススメの漫画をご紹介。
深谷陽さんの「密林少年〜Jungle Boy〜」全2巻。
クメール・ルージュの少年兵だったアキーラーのドキュメント。
「選択肢」など、彼ら少年兵にはなかった。
彼は今も、かつて自分たちが埋めた地雷を、掘り出す活動をしている。
彼が設立し無料開放されている「アキラの地雷博物館」には是非訪れてほしいです。