World Trip

Dharamsala, India

Jodhpur & Dharamsala, india
21.06.2013~01.07.2013

僕はインドが好きだ。
楽しそうな人々も、チャイも、ラッシーも、辛いカレーも、美しい女性たちも、人懐っこい子供たちも、動物たちも、汚い道も、匂いも、川も、照りつける太陽も、月の明かりも、なんもかも、好きだ。

なんだかよくわからなかった、と前回の日記に書いたヴァラナシ。あの街を出た今、僕はヴァラナシがとても恋しい。
ジョードプルを出てダラムサラへ向かう寝台列車の熱気こもる荷台にいて、今、ジョードプルがとても恋しい。
丘から見下ろす青い街、子供たちが競って凧上げをする情景。
35ルピーのオムレツ・サンドと、甘すぎるマンゴージュース。
アーユルヴェーダのマッサージ。
僕が音楽を始めたきっかけ「ザ・ブルーハーツ」がかつて泊まりCDを置いて行ったという宿。
その宿の女将(インド人)が歌う「情熱の薔薇」。(彼らはとてもいいやつらだったと言ってたよ)
必ずまた会おうと約束した、初めて心を深く許せたインド人の友人。
彼の母親が淹れてくれるチャイ。

ダラムサラを出てデリーに向かう夜行バスの窓に顔をくっつけなから星を眺める今、ダラムサラがとても恋しい。
まるで僕の故郷のような風景。
パタンコートからダラムサラまで向かうタクシーからの景色は、少し涙が出そうなくらいだった。
親しみ深い顔のチベットの人たち。(日本人にそっくり!)
夜の停電時、見上げた空の星。
チベット風餃子、「モモ」。
非暴力での革命を進める、ダライ・ラマさんにも会えた。微笑みの深いおじいちゃんだった。
パレスチナ問題に続き、不勉強を思い知ったチベット問題。
宿で出会った、インドを2年徒歩で旅してるヒーラーのヒーリング。
(緑の小さな町を子供と遊びながら歩いているような、不思議な体験だった。)
衝動的に購入した「マスター・ピース」の曼荼羅。
遠くの山の隙間に覗いたヒマラヤの神々しさ。

1カ月は短すぎた。次はせめて3,4,5,6カ月はいたいな。

最大限の刺激を求めてインドに来た。
でも、そんなの、お門違いだったのかもしれない。
もちろんここに刺激はある。おおいにある。
でも、僕がしつこく言う、極限ギリギリのビリビリするような刺激とは、ことのつまりはインドの中、旅の中にではなく、音楽の中にあるのではあるまいか。
旅からしか得られない刺激も、たくさんある。数えきれないくらいたくさんのものを得た実感がある。
でも、今の僕は、そこに行きついた気がするのだ。
新しいフレーズやメロディ、言葉を思いついて、曲にしていく途中の、なんと刺激的なことか。
素晴らしい音楽や表現に出会い打ちのめされる瞬間の、なんと刺激的なことか。
知らない誰かの目の前で歌うことの、なんと刺激的なことか。
どんな風にお客さんを驚かせてやろうかたくらんでいる時の、なんと刺激的なことか。

しかし、まだまだ旅は続く。
何を求めて?わからない。
僕は今、激しく音楽を求めている。
それなら日本に帰ってはやく音楽をやればいい?
確かにそれにも一理あるけど、まだ旅を続けるべきだと、僕の直観は言っている。
「何を求めるでもなく、旅をしてみろ」と。
旅で出会った、とある女の子が言っていた。
「自分の本当の声は、自分にしか聞いてあげられない」
本当にその通りだと思う。かつての僕はそこに目を背けて、いくつの後悔を重ねてきたことか。
「Life is CHOICE」
砂漠のあいつも言っていた。
今は旅を続ける。
どんな出来事が僕を待っている?
まだまだ僕は、ワクワクできている。

これでいいのだ。