Salvador, Brasil
Salvador, Brasil
11~14.02.2013
リオ・デ・ジャネイロからバスで28時間、
自分的カーニバルの本命、
サルヴァドールにやってきた。
サンバやアシェ発祥の地。
音楽の街!
そして、ブラジル最初の首都でもある。
リオのカーニバルと比べて、
サルヴァドールのカーニバルは参加型、
と聞いていた。
期待に胸ふくらませ、まずは宿へ移動。
タクシーは高いのでローカルバスを探す。
行き先は「コメルシオ」。
(遠回りだったと後で知る)
街を「上の地区」と「下の地区」
に分けるエレベーターがある場所。
重い荷物を抱えてバスに乗り込み、
コメルシオでエレベーターに乗り込み、
すでに盛り上がりまくるカーニバルを横目に
石畳のおしゃれな街(世界遺産)を汗だくで歩き、
たくさんの人に道を聞き、
ついに宿に到着。
そして荷物も開けず、
財布とカメラをいつもの黄色い肩掛けバッグに突っ込む。
リオで買った派手な帽子をかぶる。
街に繰り出そう。
とはいえ例によってなーんも調べとらん。
ただただ盛り上がってるところを目指す。
道を教えてくれたやさしい人たちにお礼を言いながら。
それにしても、ポルトガル語は難しい。
スペイン語と似てるところもあるけど、ほとんど違う。
グラシアスとオブリガードの差はでかい。
街はたくさんの人々で賑わっていた。
色んなチームが音楽を鳴らしながら街を練り歩き、
そのあとを皆が踊りながらついて行く。
まるで百鬼夜行だな、と思う。
腹か減っていたからいろいろと買い食いしながら
1、2時間は歩いただろうか。
そこらのパーカッション・チームとは
一線を角した音色とリズムを聞かせるチームと出会う。
身体が自然に動く動く。
僕は日本人だから、ラテンの皆さんのように
自然と身体が動くってことはあんまりない。
クラブでオイオイ言いながらただ縦ノリで踊って
女を口説くようなこともつまらなく思い、しない。
去年のフジロックでも、最高だと感じた
ジェームス・ブレイクとカリブー以外は
身体が動いちゃってしょうがないということはなかった。
どうやら僕は、踊り出すための沸点が
かなり高いんだと思う。
まあ、ずっと音楽やって、音楽聴いてるんだから、
当たり前なんだけどね。
そんな、一見ノリの悪い(ほんとはそんなことない)
僕の身体を動いちゃってしょうがなくしちゃった
チームの名前は、「iLe Aye」。
なんて読むのかは、知らん。
本当に最高だったぜ。
ただチカラいっぱい叩くだけの音じゃない
「わかってる」音色、時として壁を超える絶妙さ、
リズムのタメ方、走らせ方。ダイナミクス。
そういう要素と矛盾しがちなパッション、
全部あった。
CD買っちゃった。
僕が日本で最も好きなジャンベ叩きの坂東邦明が、
なぜここにいないんだと思った。
やつにもここで叩いてみてほしかった。
ずっと笑ってただろうに。
さて、そんな感じでご満悦の私は、
また熱狂の隙間をぬい、宿へ戻った。
皆さん覚えてるだろうか。
キューバのトリニダーは洞窟ディスコで、
財布とカメラを盗られた彼。
あの彼と偶然の再会。
3ヶ月ぶり。
なんと、今日もカメラと時計を盗まれていた苦笑
彼だけでなく、この宿にいる日本人の
8割がたが被害にあってた。
カメラを盗られた人、腕時計をむしりとられた人、
ポケットの財布盗られた人。
やっぱ治安悪いんだな…。
皆には悪いが、俺、無事でよかった。
さて、次の日。
カーニバル最終日。
大量にたまった洗濯物をやっつけ、
近所の店でアサイーを飲み、
昨夜出会った「なお宿」の皆さんの太鼓を見に行く。
なお宿では、カーニバル1ヶ月前から日本人が集まり、
サルヴァドールのカーニバルに参加すべく、
毎日練習を重ねていたらしい。
皆楽しそうだった。
見てる僕も楽しくなった。
でも、iLe Ayeには遠く及ばず。
そりゃそうだ。
ほとんど素人さんなのに
あんまり期待するのは酷ってもんだ。
街を練り歩き、音楽と、
生楽器のマイクを通さない音色と、
浮かれて痺れた空気を楽しむ。
その後、最も盛り上がるという、
海沿いの街バッハへ向かう。
もちろん楽しかった。
しかし、上に書いたように
変に沸点が高い僕を沸騰させる音楽には出会えず。
あくまで音楽には、って話であって、
街の空気が、僕を高揚させ続けてくれた。
ここにあいつやあいつがいたら、
どんな顔で、どんな風に踊って、
どんな話をするんだろう。
そんなことばかりを考えた。
そんな祭りも終わりを告げかけているのが、
わかる。
まだ終わらせたくない。
別のどこかへ行かなきゃ。
そしてたどり着いた「カンポ・グランヂ」には、
なんと、昨夜僕を熱狂させてくれた
「iLe Aye」がいたのだ。
歩き疲れた身体が、嘘のように沸き立つ。
音楽ってすげーな。
疲れがどこかに消えてしまった。
祭りが終わるまで、僕はiLe Ayeと踊り続けた。
笑い続けた。
時に叫んだ。
何故か泣けてきた。
つまづいて転んだ。
「風来坊」の歌詞みたいだな、と思った。
宿に戻ったのは深夜3時過ぎ。
当たり前のようにお湯が出ないシャワーも、
火照った身体に心地よい。
この宿で出会った日本人の旅人と、
屋上で夜の海を眺めながら酒盛り。
そして泥のように眠る。
次の日。
カーニバルの終わった街を歩く。
街はそれでも音楽で溢れていた。
パンデイロの音、ビリンバウの音。
そうか、カーニバルは関係ないんだな。
ただただみんな音楽が好きなんだな。
パンデイロ叩きのヤナフィがここにいたら、と思った。
やつはどんな顔をするだろう。
次の目的地、アマゾン川河口の街「ベレン」への
バス・チケットを買い、絵葉書を出し、
お金をおろし、安い大衆食堂でメシを食い、
ちょっとした土産を買い、
ちょっとした土産で増え続ける荷物をどうにかまとめた。
夜は屋上で何曲か歌う。
ゆっくりとした一日を過ごした。
さよならサルヴァドール。
またいつか来ることがあったら、
そんときは俺も太鼓を叩くよ。
iLe Ayeに負けないやつ。
次回は。
サルヴァドールからバスで36時間、
アマゾン川の終着点、
「ベレン」。